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プロフィール

河合一充

Author:河合一充
(かわいかずみつ)
 イスラエルと日本の架け橋を願って、85年株式会社ミルトスを創設。イスラエル・ユダヤ・聖書関連の出版編集をもって、日本の社会にささやかな貢献を願った。現在現役をリタイアを考える。ヘブライズムの基なる思想を紹介したいと思っている。

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河合一充 くだん日記
思いつくままに、イスラエル・ユダヤ・聖書・日本など書き連ねる。よってくだんのごとし。
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今週の聖句「ヴァイシュラフ」 ヤコブのイスラエルへの変貌は
 今週の聖句(パラシャット・ハシャブア)は、「ヴァイシュラフ」創世記32・4~36・43である。
 先週の聖句の箇所は書き損ねたが、イサクの息子、兄エサウと弟ヤコブの物語が先週と今週にわたって展開する。
 ヤコブは兄をだまして、父イサクの祝福を奪い取る。それから兄を恐れて、逃亡し、母の故郷で伯父ラバンのもとで暮らし、妻のレアとラケルを得る。そして物質的に成功して、これではいかんと、故郷に戻ろうとする。
 しかし、恐ろしいのは兄エサウである。これが今週読むところ。

 ヤコブが兄に面会して、和解するために努力をする。これこそ、ユダヤ民族の外交術のお手本とされるので、面白い。
 さて、ヴァイシュラフというのは「遣わした」というヘブライ語。ヤコブが僕たちをエサウの元に、使者として遣わしたという、文章の冒頭から題名にした。その時、言うべき台詞を命じた。それがいろいろ問題にされるのである。
 ヤコブはエサウに「あなたの僕ヤコブ」と言ったのである。自己卑下するのは良くない、という意見と、敵対する相手にはまず低姿勢で行くべきで、良いという人もある。
 ヤコブの心境はどうであったか。会見の前に、家族を先に国境の川を渡らせ、彼は独り残った。
 それから、ヤコブは何者かと格闘をする。夜明けまで勝負がつかない。その人は、ヤコブに「イスラエル」という名を与えて去る。
 聖書は、その者が何かは語っていない。ただ、ヤコブが「神と人と闘って勝った」という意味で、イスラエルと呼んだ。ヤコブを祝福して、去った。ヤコブは「神を見た」といった。
 この出来事が、エサウに会う前のことだというとき、ヤコブの心霊に重大な感化を与えたことに気がつく。
 ユダヤ伝説では、格闘した相手は、エサウの天使であるという説もある。
 ここをヤコブの自分との闘い、とも見られるだろう。ヤコブが独りで過ごしたとは、神の前に祈ったとも見られる。徹夜して祈りに祈った。そして、彼は人格変貌したのか。名前が変わるとき、その本質の変化を表す。

 イスラエルというのは、ヤコブの新しい名である。それが後の時代に民族の名となった。
 イスラエル民族の本質は、この祈りの民であるところにあろう。

 まだまだ、他にも興味の尽きない聖句の箇所だが、エサウとヤコブの兄弟がやがてエドムとイスラエルという民族の相克の物語につながっていく。預言書には、エドムへの批難が語られる。今週は、預言書の「オバデヤ書」を同時に読むそうだ。

 ユダヤ人は、イスラエルを迫害しいじめる者はこのエサウだけにとどまらず、歴史上で次々と「エドム」が登場すると考えている。だから、聖書はサバイバルのための教科書である。
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