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プロフィール

河合一充

Author:河合一充
(かわいかずみつ)
 イスラエルと日本の架け橋を願って、85年株式会社ミルトスを創設。イスラエル・ユダヤ・聖書関連の出版編集をもって、日本の社会にささやかな貢献を願った。現在現役をリタイアを考える。ヘブライズムの基なる思想を紹介したいと思っている。

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河合一充 くだん日記
思いつくままに、イスラエル・ユダヤ・聖書・日本など書き連ねる。よってくだんのごとし。
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キリスト教がユダヤ教から完全独立の末に
 昨日のブログに、なぜ「復活の日はいつか」を書いたかというと、それには訳がある。

 キリスト教会がいつしか「イエスはユダヤ人である」という事実から離れていった。それを問題に思っていた。
 (ユダヤ人と言うよりユダヤ教徒と言うべきだが。)
 イエスが十字架にかけられたのは、過ぎ越しの祭りのあいだであった。最後の晩餐は、「徐酵祭の第1日、すなわち過ぎ越しの子羊を屠る日」(マルコ伝14・12)に、イエスと弟子達は過ぎ越しの食事をした。
 今のキリスト教の復活節は、ユダヤ教との関連を一切ぬぐい去っている。しかし、聖書をそのまま読めば、イエスの意識は「過ぎ越しの子羊」となることではなかっただろうか。
 教会が「復活の日」を、ユダヤ教のペサハとは関連しないようにした背景に、当時の教会がイエスがユダヤ人であったことを無視し、ユダヤ教から完全に独立していった歴史があったと思わされるのである。新約聖書が成立した後の時代であろうと想像する。

 もう一度初代教会の時代の信仰を回復しなければ、キリスト教は再興しないのではないか。
 
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