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プロフィール

河合一充

Author:河合一充
(かわいかずみつ)
 イスラエルと日本の架け橋を願って、85年株式会社ミルトスを創設。イスラエル・ユダヤ・聖書関連の出版編集をもって、日本の社会にささやかな貢献を願った。現在現役をリタイアを考える。ヘブライズムの基なる思想を紹介したいと思っている。

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河合一充 くだん日記
思いつくままに、イスラエル・ユダヤ・聖書・日本など書き連ねる。よってくだんのごとし。
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復活の日はいつか 2通りの表現 
 復活祭を記念するのに、何時の日が適当か。これは簡単ではない。
 まず、新約聖書によれば、情報が二通りある。
 ユダヤ暦の行事に従って、過ぎ越しの食事をとった記事がある。いわゆる最後の晩餐だが、これはペサハの初日の晩餐、セデルであろう。だから、十字架と復活の日はペサハの日が鍵になる。

 ところが、一方、復活の出来事は「安息日が終わって、週の初めの日の明け方」という記述がある。復活のイエスは、マリアに現れた。
 (これから結局、教会において日曜日が主の日ととして、土曜日よりも尊ばれることになる。)

 ここで、月の(陰暦の)29日単位と週の7日単位で巡るカレンダーは、月日と週のずれが生じるので、ペサハの第1日が安息日になるのは偶然である。(とはいえ、計算すれば何年目に合うかは分かる)

 ユダヤ教から離別したキリスト教会は、結局、人工的に復活の日の計算方式をつくったわけである。
 それは仕方がないことだった。歴史の結果である。

 
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