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プロフィール

河合一充

Author:河合一充
(かわいかずみつ)
 イスラエルと日本の架け橋を願って、85年株式会社ミルトスを創設。イスラエル・ユダヤ・聖書関連の出版編集をもって、日本の社会にささやかな貢献を願った。現在現役をリタイアを考える。ヘブライズムの基なる思想を紹介したいと思っている。

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河合一充 くだん日記
思いつくままに、イスラエル・ユダヤ・聖書・日本など書き連ねる。よってくだんのごとし。
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教皇の象徴の働きに期待する 中東和平に
 わたしはなぜかフランシスコ教皇にこだわる。
 そして、世界中の人々も、前例の無いほどこだわる。
 こだわるというと、言葉はわるいが、好きである。尊敬する、敬愛すると言った方がいいのか。
 世界も同様だと思う。別にカトリックでない人々も。

 今や教皇の聖地訪問(パレスチナ、イスラエル含め)について様々の評価がメディアにあふれ出しているという。
 成功だったのか、生ぬるい訪問だったのか。意見は分かれている。

 さて、ペレス大統領やアッバス議長は、これまで何百回(?)と会っている。
 しかもイスラエルの大統領というのは、象徴的な存在で政治的権限は無い。
 二人がバチカンであっても、両国の和平に政治的前進がいかほどあろうか。
 確かにそうかもしれない。
 (ネタニヤフ首相は、どうもペレスの方が教皇に愛されているようで、不満顔だという声もある。)

 しかし、教皇自身が政治力がある存在と思っていないだろうし、カトリックの頂点にある象徴的存在であろう。
 これは権力でなく、権威の問題なのだ。
 教皇は心底から「祈りの力」を信じておられるのではないか!

 もし、政治的にどうにもならなかった相互の不信を溶かすことが始まるなら、まさに宗教の役割に気づきが始まるというものである。


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