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プロフィール

河合一充

Author:河合一充
(かわいかずみつ)
 イスラエルと日本の架け橋を願って、85年株式会社ミルトスを創設。イスラエル・ユダヤ・聖書関連の出版編集をもって、日本の社会にささやかな貢献を願った。現在現役をリタイアを考える。ヘブライズムの基なる思想を紹介したいと思っている。

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河合一充 くだん日記
思いつくままに、イスラエル・ユダヤ・聖書・日本など書き連ねる。よってくだんのごとし。
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今週の聖句 バミドバル  「数えよ」の真意 一人一人を大切に顧みよ
 今週の聖句パラシャット・ハシャブアは、「バミドバル」民数記1・1~4・20である。民数記のヘブライ語聖書での名称は、この「バミドバル」、つまり「荒野にて」の意。
 モーセに率いられる民がこれからシナイ山から、カナンを目指す旅立ちをする。

 その出発の前に、神は「民の数を数えよ」といわれた。
 イスラエルの民は、総勢で603,550人であった。(実は、これは戦いの出来る成人男子の数)
 人口調査というわけだが、それでこの書は「民数記」という名をいただいた。
 なんだ我々は、大勢の中の一人か! と思いやすい。名でなくて、数字で呼ばれるならば。
 人間は、いつの間にか、強制収容所でなくても、ナンバーになりやすい。
(最近は、個人情報非公開とやらで、病院なんかでも名でなく、ナンバーで扱われる。とんでもないこっちゃ!)

 しかし、神は愛をもって一人一人を呼んでいるという。この箇所が?
 そうユダヤ賢者は教えてくれる。なぜ?
 普通、ヘブライ語で数えるときに使う言葉は、ヘシュボンとかミニヤンである。
 実は、聖書では別のペクディームという言葉を使っている。ここの「数えよ」といったときの語源である。
 それは「パカッド」訪ねる、顧みる、という意味。
 創世記21・1で、サラを顧み、イサクが生まれることになる。他。
 だから、神は単に「頭数を数えよ」といったのではない。モーセに一人一人を「顧みよ」と命じたのである、とユダヤ賢者は解釈する。
 民数記を別名、「フマッシュ・ハペクディーム」という。

 民のリーダーは、どんなに民が大勢いても、数としてではなく、一人一人を大切に尊重しなければいけない、という教えなんだ。それが真の民主主義だ。と現代流に言えば、そうなる。
 どんな集団の指導者にも、当てはまる教訓だろう。





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