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プロフィール

河合一充

Author:河合一充
(かわいかずみつ)
 イスラエルと日本の架け橋を願って、85年株式会社ミルトスを創設。イスラエル・ユダヤ・聖書関連の出版編集をもって、日本の社会にささやかな貢献を願った。現在現役をリタイアを考える。ヘブライズムの基なる思想を紹介したいと思っている。

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河合一充 くだん日記
思いつくままに、イスラエル・ユダヤ・聖書・日本など書き連ねる。よってくだんのごとし。
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ブラント元独首相のイスラエル訪問 40年前に
 ドイツの首相が最初にイスラエルを訪問したのは、ヴィリー・ブラント首相。40年前の1973年、6月7~11日のことであった。
 それは大変勇気のいる訪問である。
 ドイツがホロコーストの罪を背負っているゆえに、イスラエルでは最も不人気の国であった。それだけでなく、1972年のミュンヘン・オリンピックではイスラエルの選手がテロの犠牲になっていった。

 このほど、外交文書が解禁になって、ブラント首相とゴルダ・メイア首相の会見の記録が明らかになったという。

 メイア首相は、外圧でアラブ・イスラエル紛争が解決できるという幻想は止めなさいと言った。
 また、イスラエルは本当に平和を欲しているとエジプトのサダト大統領に伝えてくれるようブラントに頼んだ。
 「我々はシナイのすべて、あるいは半分、あるいは重要な地域も欲しいと思っていない」とも言った。
 ただし、メイアはイスラエルは1967年6月4日以前の境界線に戻るつもりはないと、明確に述べた。

 ドイツはそのメッセージを伝えたが、サダトは拒否した。
 メイア首相がサダト大統領に交渉を持ちかけたのは、これで3度目だった。1971年に米国務長官のロジャーズ氏を通し、1972年にはルーマニアのチャウシェスクを通じて。メイア首相は熱心にエジプトとの和平を求めたが、逆にエジプトにヨムキプール戦争で奇襲されるという悲劇の運命に倒れた。

 それはそれにしても、ブラント首相の訪問で、二国間は新しい関係に入ったとされる。
 ブラント首相自身は、反ナチスの闘士で、大戦中はノルエーやスエーデンに亡命していた。



 
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