カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

プロフィール

河合一充

Author:河合一充
(かわいかずみつ)
 イスラエルと日本の架け橋を願って、85年株式会社ミルトスを創設。イスラエル・ユダヤ・聖書関連の出版編集をもって、日本の社会にささやかな貢献を願った。現在現役をリタイアを考える。ヘブライズムの基なる思想を紹介したいと思っている。

最新記事

最新コメント

カテゴリ

ご感想をひと言どうぞ!

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ

最新トラックバック

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード

河合一充 くだん日記
思いつくままに、イスラエル・ユダヤ・聖書・日本など書き連ねる。よってくだんのごとし。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

モーセの幕屋建設の意義 今週の聖句より
 久しぶりに、今週の聖書朗読箇所を。
 出エジプト記の25章1節から27章19節までを明日のシャバットに読む。
 ちょうど、シナイ山で幕屋建設の指示を受け取る箇所である。
 トーラーの朗読の箇所としての名称は「テルマー
 捧げ物という意味である。

 シナイ山で熱狂して「私たちは行います。そして、聞きます」とイスラエルの民は叫んだ。
 人々は、主の栄光が山の頂で燃える火のように見えた(24・17)。
 感動たるや、まさにこれ以上の経験はなかっただろう。

 しかし、彼らの真剣さは試す必要がある。
 人は感動が冷めた後、本当に行動に移すかどうかが問われる。

 そこで、神は幕屋建設を命じた。それは、神が人間のあいだに住むためであると言った。

 ラビ・ペリーは次のように解説している。
 「神が人々の中に住み給うという事実は、人々が受動的であるかぎり、また聖をこの世界にもたらそうと行動しないかぎり、決して起こらない。
 『彼らに私のために聖所を作らせなさい。私が彼らのうちに住むためである』(25・8)
とあるが、人々が聖所を建てるという条件のもとに神は人々の中に住み給うという。」


 聖所とは、象徴的に取るべきである。今さら、エルサレムに第3神殿を作ることでない。
 また、教会を建てることでもあるまい。
 自分の中に「聖所」を、家庭を聖所に、今いるこの場、職場を聖所とすることの中に、これからの神殿建設の意味があるのではないか。

 ラビ・ヘシェルは、Just to be is a blessing. Just to live is holy.とおっしゃった。、「日常生きることは聖なのだ、聖あらしめることだ」
 ちょっとむずかしかったかな? ごめんなさい。




 
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


トラックバック
トラックバック URL
http://kawaikazu.blog73.fc2.com/tb.php/1686-871e1426
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。