カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

プロフィール

河合一充

Author:河合一充
(かわいかずみつ)
 イスラエルと日本の架け橋を願って、85年株式会社ミルトスを創設。イスラエル・ユダヤ・聖書関連の出版編集をもって、日本の社会にささやかな貢献を願った。現在現役をリタイアを考える。ヘブライズムの基なる思想を紹介したいと思っている。

最新記事

最新コメント

カテゴリ

ご感想をひと言どうぞ!

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ

最新トラックバック

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード

河合一充 くだん日記
思いつくままに、イスラエル・ユダヤ・聖書・日本など書き連ねる。よってくだんのごとし。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

忠臣蔵から元禄時代 芭蕉を想う
 この季節になると、必ず忠臣蔵が話題になる。
 赤穂義士が、吉良邸に討ち入りしたが、元禄15年12月14日(西暦1703年1月30日)である。
 それで義士祭というのが、12月14日に催される。
 品川の泉岳寺だけでなく、ふるさとの播州赤穂市でも催されたと、神戸新聞にある。
 時期は本当は今の1月末だから、寒かった。雪が降ったのもさもありなん。

 確かに、日本人の心に定着した感ありで、そういえば何冊も関連小説が出ているが、よく読んだものだ。

 インテリジェンス的に言えば、大石内蔵助は見事に情報戦に勝利して、目的を果たした。昔の人は偉かったと、現代人のひ弱さを思うと、庶民は拍手喝采したいだろう。

 ただし、日本文化における元禄時代の最も価値ある貢献は、松尾芭蕉の出現だったと私は思う。時の権力者の名を覚えている人は少ない。
 芭蕉は、年譜を見ると、元禄7年10月12日に歿しているので、赤穂義士の出来事は芭蕉以降だった。
 もし、同じ頃に生きていたら、彼は何んな句を詠んだだろうか。

 芭蕉は単なる俳句という文学を完成させただけでなく、西行や後鳥羽上皇の文学伝統につながる日本詩人の系譜をよみがえらした人物だ。
 というのが、確か、私が昔よく読んだ保田與重郎から学んだことと記憶している。

 芭蕉の俳句は、日本人の歴史観や自然観を代弁してくれているような感じで、我々の潜在意識まで入っていると思うのである。
 この間も、中尊寺に行ったとき、だれもが「夏草や つわものどもが夢の跡」をすぐ想い出し、口にした。

 若い人は、一度は芭蕉の俳句集をずっと味わってみるといいと思う。



スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


トラックバック
トラックバック URL
http://kawaikazu.blog73.fc2.com/tb.php/1067-5624c1d2
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。