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プロフィール

河合一充

Author:河合一充
(かわいかずみつ)
 イスラエルと日本の架け橋を願って、85年株式会社ミルトスを創設。イスラエル・ユダヤ・聖書関連の出版編集をもって、日本の社会にささやかな貢献を願った。現在現役をリタイアを考える。ヘブライズムの基なる思想を紹介したいと思っている。

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河合一充 くだん日記
思いつくままに、イスラエル・ユダヤ・聖書・日本など書き連ねる。よってくだんのごとし。
シモン・ペレス前大統領 逝去される
 シモン・ペレス前大統領には、今朝、2週間の病との戦いを終えて逝去されました。
 謹んで哀悼の意を表します。
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エルル月の18日 素晴らしい日 バアル・シェム・トブの誕生日
 例年だと、イスラエルでは今頃、「新年」から「ヨムキプール(贖罪日)」、「スコット(仮庵の祭り)」などの季節がやって来る。しかし、今年はそれをまだ聞かない。なぜかというと、ユダヤ暦では今年は閏年。約1カ月ずれのである。
 そのかわり、昨日は、エルル月の18日。(次の月が上に述べた祭りの来るティシュレー月)
 この日は、ハシディズムのユダヤ教徒(特にハバッド派)がとても大切にする重要な日だそうだ。
 なぜかというと、18はヘブライ語で数値を表すと、ヘットとユッド、hとi、文字として発音すると「ハイ」になるが、これは「命」を意味する。すごく縁起の良い数字と見なされる
 しかも、エルルの18日は、1698年にハシディズムの開祖バアル・シェム・トヴの生まれた日であるという。
 バアル・シェム・トブは、ユダヤ教の精神復興運動ハシディズムをもって、ユダヤ民族の危機を救った、火のように燃えたカリスマ的人物である。現代に至るまで、彼の精神的影響は大きい。
 マルティン・ブーバーが、20世紀になって、それを紹介してユダヤ教以外にも大反響を呼んだことは、言うまでもない。

 今日は秋分の日の休日だが、祝日という感覚はないようだ。
 でも、エルルの18日というのが、バアル・シェム・トブの誕生日だった、というちょっとした新知識を心に留めていただけたらうれしい。


シモン・ペレス前大統領 脳卒中で緊急入院
 緊急ニュースです。
 イスラエルのシモン・ペレス前大統領が脳卒中で、昨日緊急入院されたという。ラマットガンのシェバ・メディカル・センター。
 年齢は93歳で高齢なので、心配されるが、重病ではあるが病状は比較的安定していて、呼びかける声には反応するよし。

 イスラエル建国時代の第1世代であるペレス前大統領の存在は、本当に貴重である。
 命の生存の戦い中、勝利して欲しい。
 祈りを送ります。
メシアを待望するとは どういうことか
 中世ユダヤの大賢者ランバム(1135–1204 CE)のことを昨日、触れたが、彼の生きた時代はイスラム教やキリスト教が興隆していたので、対抗上、理性的な議論をせざるを得なかったにちがいない。(もともと理屈が好きだったのかもしれない?)
 他の一神教のほうは、神学や哲学が盛んであった。ギリシャ哲学の文献は、アラビア語で残っていて、アラビア語圏にいるユダヤ人学者も精通していたわけである。ユダヤ教は一体何を信じているのか、そんな問いが投げかけられて、ランバムは最低限度の信条を作った。
 現在、ユダヤ教の祈祷書にも載っている「13箇条の信条Thirteen Principles シュロシャーアサル・イカリーム」である。「アニー・マアミーン・ベエムナ・シュレマー(全き信仰をもって我らは信ずる・・・)」という言葉で、信条が13箇綴られている。
 その第12箇条が「メシアの到来を信ずる」である。

 だから、これを否定するユダヤ教徒はいないだろう。ところが、さてメシアとはだれか、何か、何時来るのか、となると、統一した見解はない。議論百発である。もちろん、キリスト教の「メシア」観とも、別のものである。(詳しくは『バルセロナの宮廷にて ユダヤ教とキリスト教の論争』(ミルトス刊2007年)をご覧いただきたい)

 ユダヤ教の思想を簡潔に表現をするとすれば、「歴史には目標があり、その最終目標が実現する日(終末の日)に向かって神の計画は進んでいる」。そして、その日をもたらすのがメシア。しかし、メシアが人格なのか、否、理想的な時代なのか、それは曖昧である。(ヘブライ語では、アハリート・ハヤミーム日々の終わりと言い、終わりの日ではない)

 聖書と古代賢者の言葉を引用しておこう。

 「見よ、主の日が来る。・・・主は全地の王となられる。その日には、主ひとり、その名一つのみとなる」(ゼカリヤ14・9)

 「あなたが樹を植えているとき、メシアが来たという知らせを聞いたならば、まず樹を植えなさい。それから走って彼に挨拶をしなさい」(ヨハナン・ベンザカイ)
 ヨハナン・ベンザカイという賢者は、紀元1世紀エルサレム神殿をローマに破壊され、ユダヤ民族が存続の危機に瀕したとき、ヤブネという田舎の町に、トーラー(律法)を学ぶ学塾をつくってユダヤ教を救い、ユダヤ民族の生存の基礎を据えた。それを思うと、含蓄の深い言葉である。「メシアを待望する」といっても、空に待つのでない。明日のために、人は今日現実にすべきことがあり、それをきちんとすることである。樹を植えるとは、自分のためではなく、明日を生きる子孫に良きものを残すことを意味する。
 

中世ユダヤ思想家は イスラエルの民の集合を信じていた
 昨夜はベングリオン大学の中世ユダヤ思想の教授のお話を聞いた。興味深かったが、なぜユダヤ人がギリシャ哲学などの思想を借りてユダヤ教の内容を伝えようとしたのか、その概説を受け止めた。
 ユダヤ人は時代時代にその支配的な文明の潮流にあわせて、自分たちの信仰を守らねばならなかった。
 たとえば、紀元1世紀のエジプトのユダヤ人フィロンという哲学者は、ギリシア哲学の思想とユダヤ教の信仰を矛盾無く説明することに努力した。
 つまり、ユダヤ教は何時の時代にも、決して野蛮な思想ではないと護教的にならざるを得なかった。自分の民に向かっても、他の異邦人に向かっても。
 それで、ユダヤ教の本質はなにかが、ユダヤ人の間でもつねに議論になる。

 中世のユダヤ思想家については、特に例を引いて語られたのが、ランバム(マイモニデス)とユダ・ハレヴィの2大賢者。
 ランバムはアリストテレスの哲学を使い、理性的な論述を好んだ。一方、ユダ・ハレヴィは歴史を尊重した。いずれもユダヤ教を弁護したことにはちがいないが、アプローチが異なった。ランバムの思想、「神は宇宙の第1原因」というのは分かりにくかった。

 さて、「キブツ・ガルヨット(離散の集合)」という信仰に関して、中世の賢者たちはどう考えていたか。ランバムはどうであったか、興味がわくところである。ランバムは、その著書『ミシュネー・トーラー』に、メシアがイスラエルの離散を救う、と書いている。トーラーの中にそれがはっきりと預言されているという。
 メシアが来てイスラエルの民が集められるのか、イスラエルの民が集合してメシアが到来するのかは、いろいろの学者の議論がある。
 しかしいずれにしても、イスラエルの民の集合は、ランバムの肯定する信条であった。
 中世の賢者が、イスラエル国の復興を預言したわけではないが、希望し続けたということは断言できよう。