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河合一充

Author:河合一充
(かわいかずみつ)
 イスラエルと日本の架け橋を願って、85年株式会社ミルトスを創設。イスラエル・ユダヤ・聖書関連の出版編集をもって、日本の社会にささやかな貢献を願った。現在現役をリタイアを考える。ヘブライズムの基なる思想を紹介したいと思っている。

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河合一充 くだん日記
思いつくままに、イスラエル・ユダヤ・聖書・日本など書き連ねる。よってくだんのごとし。
預言者エレミヤの預言 「捕囚の民を帰らせる」
 イスラエルの「離散の集合」(キブツ・ガルヨット)、つまり離散したユダヤ人が帰還してくることのテーマに関心をもっている。
 最初にそのことを言ったのはモーセであるが、その後もイスラエルの預言者が機会あるごとに語ってきた。
 イスラエルの歴史を書いた書物はまず申命記であり、旧約聖書のそれ以下の書物も同じ歴史観、同じ価値観で綴られているという。イスラエル、ユダの両王国が滅亡した後に、「申命記的史家」によって書かれた、あるいは編集されたというのが、大体の学説であるそうだ。
 特に「列王記」はダビデ・ソロモンの後の時代の歴史が詳しい。旧約聖書を読む者に、列王記は必読書だ。

 ところが、列王記はユダヤの伝承では、預言者エレミヤがそれを書いたという。(実際は、エレミヤが口述し、弟子のバルクが書き残した) 列王記には一言も、エレミヤの名は出てこない。列王記はユダ王国が滅亡するところで終わっている。列王記に書かれなかった部分が「預言書のエレミヤ記」に記されたと言われる。それは何か?

 エレミヤは、実に苦難を負わされた涙の預言者、愛国者であった。旧約聖書中、私の最も愛慕する人物である。彼の伝記部分が詳しく、彼の感情が縷々表現されている。内容的には、ユダヤの民が神に愛されたのにもかかわらず何故滅ぼされねばならなかったか。エレミヤの激しい苦衷と神への訴えが文中にほとばしっている。しかし、彼は捕囚の民に手紙を送り「希望」を語った。

 主はこう言われる、「・・・わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うであろう。・・・わたしは捕囚の民を帰らせる。わたしはあなたたちをあらゆる国々の間に、またあらゆる地域に追いやったが、そこから呼び集め、かつてそこから捕囚として追い出した元の場所へ連れ戻す」
(エレミヤ29・13、14)

 

 
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預言者イザヤの希望の預言 離散の民が帰ってくる
 ユダヤ民族はしぶとい。その歴史は迫害と離散が続いた。しかし、未来への希望を失わなかった。本質的に楽天的な人々であろう。
 イスラエルの地から最初に散らされたのは、古代にアッシリアに滅ぼされ、つづいてバビロンに捕囚にあった。この時、エルサレムの神殿は破壊された。その時代に預言者が出て、希望の言葉を残したからである。預言者イザヤは言った。

 その日が来れば、主は再び御手を下して、御自分の民を買い戻される。
 彼らはアッシリア、エジプト、上エジプト、クシュ、エラム、シンアル、ハマト、海沿いの国々などに残されている者である。
 主は諸国民の民に向かって旗印を掲げ
 地の四方の果てから
 イスラエルの追放されていた者を引き寄せ
 ユダの散らされていた者を集められる。
  (イザヤ書11・11~12)

 今もヨーロッパ、特にフランスから帰還してくる人たちが増えている。2千数百年も前の預言のとおりだ。

 イザヤのみならず、その後の預言者も同様に語っている。
 
                           
近代イスラエルの源流はどこから
 山の峰に落ちた一粒一粒の水滴は谷間に降り、やがて小さな渓流をなす。
 大きな河もその源流はごく細い流れでしかない。

 近代イスラエルの歴史はどこから始まったか。シオニズム運動が19世紀の中頃から、そして公式的にはテオド-ル・ヘルツェルのヴィジョン、ユダヤ人の国家を創ろうという思想と運動によって、というのが常識的理解であろう。
 現代のイスラエル人が「シオニズム」という概念に見る眼は複雑である。

 近代イスラエルの源流は、しかしもっと古く、モーセの信仰に遡ると思う。
 モーセは、イスラエルの民がいろいろの国に追いやられる離散の来ることを預言して、モーセはこう約束した。

 あなたの神、主はあなたの運命を回復し、あなたを憐れみ、あなたの神、主が追い散らされたすべての民の中から再び集めてくださる。たとえ天の果てに追いやられたとしても、あなたの神、主はあなたを集め、そこから連れ戻される。
(申命記30・3~4)

 シオニズム運動以前に、すでに1700年に聖地に大挙して帰還したユダヤ人らがいた。ラビ・ユダ・ハシッドは、熱烈にシオン帰還を訴えて東ヨーロッパから1500人の人々を連れて、エルサレムにたどり着いた。その道中で約3分の1の人たちが倒れたという。
 当時のエルサレムはユダヤ人口が1500人くらいだったそうで、そんなに大勢のユダヤ人を迎えて大混乱であった。問題が起こった。生活は寄付によって辛うじて暮らせたエルサレムのユダヤ社会。その上、トルコ政府は厳しく応じた。中には他の町に散っていった者もいた。
 エルサレムに残ったユダヤ教徒は、シナゴーグを建てた。それが旧市街に現在立派に復元しているフルバン・シナゴーグだ。
 その指導者のラビ・ユダ・ハシッドについて詳しいことは、私には分からない。
 ただ、源流の一滴であったと感じるばかりで、きっと情熱に燃えた人物であっただろう。ご存じの方に教えていただきたい。

 これから、この「イスラエルの捕囚の帰還」(ヘブライ語でキブツ・ガルヨット)を調べてみたい。

 
祈りは命の力 草の葉にも天使が付いている
 私の思想に深く影響を与えてくれたのは、ユダヤ賢者の書物であった。学生の頃に、マルティン・ブーバーに出合ったことも忘れることは出来ない。彼を通して、ユダヤ教信仰復興運動のハシディズムを知った。もちろん、信仰上の恩師にブーバーの思想を、むしろ信仰の火をと言った方がいい、教えられたからである。
 ある時から、ハシディズムの創始者バアル・シェム・トヴの曾孫のラビ・ナフマンにも傾倒した。だから、出版編集の最後のワークに、ラビ・ナフマンの小冊子『ラビ・ナフマンの瞑想のすすめ』(ミルトス刊、16年6月)を選び、翻訳出版できたのは、感慨無量である。
 
 それは、祈りと瞑想に関する語録であるが、旧約聖書への深い理解と洞察、その実践が書かれている。その中に、「50.命の力」(118頁)を少し引用しよう。

 命の力は、もっぱら祈りを通して得られる。「神への祈りはわたしの命」(詩編42・9)とあるとおりである。祈りを通して、人は3つの創造世界に命の力をもたらすのである。すなわち、低い世界(地上の世界の意)、天文の世界、霊の世界に。この低い世界の草の葉一枚ずつを、育っていくよう監督しているのが星々である。その星々に指図しているのが天使たちである。祈りを通して、人は天使の力を元気づける。我らの賢者は、それゆえ、「地上のどんな草の葉にも、それに触って育つように命じる星や天使が必ず付いている」と教えている。
 祈りを通して、いわば、人は天にいます父に支援を与えるのである。


 ここには、宇宙の営みにおいて人間が単なる受け身の存在ではなく、天にいます父(神)にも影響をあたえることをほのめかしているようだ。これは、ユダヤ教神秘主義カバラーの思想である。その元はもっと早く、ユダヤ賢者、タルムードの語っていることだ。

 次のようなタルムードの語録が私のメモにあった。

 すべての草の葉には天使が付いている。天使は草のうえにかがみ、囁いて言う。
「育つがよい・・・育つがよい」と。
 Every blade of grass has its Angel that bends over it and whispers, "Grow....Grow!"


 まして人間に天使が付いていないことがあろうか。イエス・キリストの言われたとおりである。


イスラエル人とトルコ
 イスラエル人も夏は旅行シーズン。しかし、それに関連して、今年は異変が?

 昨年までは、トルコはイスラエル人の人気のスポットだった。いろいろ国交上の不都合が起きていたが、それでもトルコや、さらにトルコ航空でトルコ経由で諸外国の行くのは変わらなかった。

 しかし、今年の特に、トルコのテロ、政変が続くことで、全く様変わり。トルコの空を通ることすらも敬遠しているそうだ。
 テロや暴動といっても、イスラエル人のドイツやフランスなどのツアー人数は変わっていないとか。ドイツには増えているとも。

 いろいろ、メディアのニュースを読み、ついでに紹介してきたが、私もそろそろこの種の内容のブログは終わりにしようかな、と考えています。
 これまで読んでいただいた方々には、どうもありがとうございました、と感謝を申し上げます。