カレンダー

12 | 2017/01 | 02
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

プロフィール

河合一充

Author:河合一充
(かわいかずみつ)
 イスラエルと日本の架け橋を願って、85年株式会社ミルトスを創設。イスラエル・ユダヤ・聖書関連の出版編集をもって、日本の社会にささやかな貢献を願った。現在現役をリタイアを考える。ヘブライズムの基なる思想を紹介したいと思っている。

最新記事

最新コメント

カテゴリ

ご感想をひと言どうぞ!

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ

最新トラックバック

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード

河合一充 くだん日記
思いつくままに、イスラエル・ユダヤ・聖書・日本など書き連ねる。よってくだんのごとし。
古道を求めて
 2016年を送る大晦日である。来る年を迎える所感を。

 良寛禅師の歌にこういうのがある。

  ますらをの ふみけむよよの ふるみちは あれにけらしも ゆくひとなしに

 「ふるみち」は古道の意。「あれにけらしも」は荒廃してしまった、道もあるかどうか分からない様。
 「ゆくひとなしに」は、行く人もいないの意である。真の仏教の道を継ぐ者がいない嘆きであろうか。それを独り歩まんとの雄渾なる決意か。

 芭蕉の「この道や ゆくひとなしに 秋の暮れ」を連想する。
 良寛はこの先人の句を知っていたのであろうか。

 「道」としか表現できないが、分かる人には分かる。それで十分だ。
 日本文芸史上、もっとも光っておられるのは新古今集を編まれた後鳥羽上皇。

  奥山のおどろがしたも ふみわけて 道ある世ぞと 人に知らせむ

 イエス・キリストは「われは道なり」と言われた。

 預言者エレミヤは記している。
  エホバかく言い給う、
  「汝ら道に立ちて見よ、古き途(みち)については尋ねよ、『いずこに善き道ありや』と。
  かつその道を歩め、さらば汝らの霊魂に休息を得ん」(6・16)
(口語訳:あなたがたは分かれ道に立って、よく見、いにしえの道につき、良い道がどれかを尋ねて、その道に歩み、そしてあなたがたの魂のために、安息を得よ)

 これからの人生の歩みを想うとき、どこどこまでもキリストやその御弟子たち、代々の聖たちがつくってくれた古道を踏み分け入りたいと思う者である。


スポンサーサイト
ハヌカとクリスマス 共通点あり 今週の聖句「ミケッツ」と重ねて考えると
  今年の12月25日は、偶然にキリスト教のクリスマスとユダヤ教のハヌカの祭りが一致した。ハヌカは今日から8日間続く。それで最終日は1月1日に来る。逆に、キリスト教ではクリスマスの前にアドベント(待誕節)という4週間の備えがある。
 ただし、共通点がある。それは光の祭りであることだ。
 冬の季節が到来すると、日が短くなり、光が恋しくなる。非宗教国の日本でクリスチャンでもないのに、世の中はクリスマスをまあ世俗的だが、迎えている。その迎え方に、イルミネーションは都会で盛んである。家の近くの小さなバラ庭園でも然り。日本のクリスマス風景を、あながち、コマーシャリズムのせいとして批難するにも及ばないと最近は思いだしている。人は「光」を求めているからだ。まだ分からないそれを人々は求めている。

 さて、今週の聖句は「ミケッツ」創世記41・1~44・17である。ヤコブの息子ヨセフと兄弟の出会いの物語が、その内容。
 兄弟に厭われてエジプトに奴隷と売られたヨセフが、奇しき運命で(すなわち、神に祝福され恵まれて)エジプトの宰相になった。
 飢饉のためにヤコブの子らはエジプトに食糧を求めに来た。兄弟たちを認識したヨセフがいろいろと企む。
 今週の聖句から何を学ぶべきか。まだ、ドラマは途中であり、次の週の部分で大展開する。
 今週では、異国の地で成功したヨセフが、自分の身分を隠し、兄弟に対応している。復讐をしようというのか? 全部を見なければ、天の意図は分からない。壮大なユダヤ民族の歴史は今も、人には不可解な展開で、続いているといっても良いかもしれない。

 シナゴーグで同時に読まれる預言書は、ゼカリヤ書2・14~4・7。(預言書朗読をハフタラという)
 バビロン補囚から帰ってエルサレム再建の苦労を綴る預言書である。ユダヤ人の共通の運命を語っている。
 「大いなる山よ、おまえは何者か。おまえはゼルバベルの前に平地となる」(4・7)

 ゼルバベルとは、帰還ユダヤ人の君主(総督、ダビデの子孫)で、山とは困難を象徴する。補囚の運命から解放されたが、ユダヤ民族にはまだ再建の苦労が待っている。しかし、神は預言者ゼカリヤを通して、救いを約束し、激励する。

 ちょうど、飢饉の苦難にあったイスラエルの子らを、神はヨセフを用いて救うのが、ここの物語である。
 偶然に、ハヌカの祭りも同様なメッセージを我々に送っているような気がする。
 人生において、勝利しなくてはならぬ。信仰とは神の恵みよって勝つことである。イスラエルの名の由来のように。奴隷のヨセフのように。ゼルバベルに導かれた帰還ユダヤ人のように。ハヌカの祭りの背景にある、マカベア戦争のユダヤ人のように。

 現代のイスラエルも、国連安保理事会でアメリカに裏切られたが、心配に及ばず。

 

今週の聖句「ヴァイシュラフ」 ヤコブのイスラエルへの変貌は
 今週の聖句(パラシャット・ハシャブア)は、「ヴァイシュラフ」創世記32・4~36・43である。
 先週の聖句の箇所は書き損ねたが、イサクの息子、兄エサウと弟ヤコブの物語が先週と今週にわたって展開する。
 ヤコブは兄をだまして、父イサクの祝福を奪い取る。それから兄を恐れて、逃亡し、母の故郷で伯父ラバンのもとで暮らし、妻のレアとラケルを得る。そして物質的に成功して、これではいかんと、故郷に戻ろうとする。
 しかし、恐ろしいのは兄エサウである。これが今週読むところ。

 ヤコブが兄に面会して、和解するために努力をする。これこそ、ユダヤ民族の外交術のお手本とされるので、面白い。
 さて、ヴァイシュラフというのは「遣わした」というヘブライ語。ヤコブが僕たちをエサウの元に、使者として遣わしたという、文章の冒頭から題名にした。その時、言うべき台詞を命じた。それがいろいろ問題にされるのである。
 ヤコブはエサウに「あなたの僕ヤコブ」と言ったのである。自己卑下するのは良くない、という意見と、敵対する相手にはまず低姿勢で行くべきで、良いという人もある。
 ヤコブの心境はどうであったか。会見の前に、家族を先に国境の川を渡らせ、彼は独り残った。
 それから、ヤコブは何者かと格闘をする。夜明けまで勝負がつかない。その人は、ヤコブに「イスラエル」という名を与えて去る。
 聖書は、その者が何かは語っていない。ただ、ヤコブが「神と人と闘って勝った」という意味で、イスラエルと呼んだ。ヤコブを祝福して、去った。ヤコブは「神を見た」といった。
 この出来事が、エサウに会う前のことだというとき、ヤコブの心霊に重大な感化を与えたことに気がつく。
 ユダヤ伝説では、格闘した相手は、エサウの天使であるという説もある。
 ここをヤコブの自分との闘い、とも見られるだろう。ヤコブが独りで過ごしたとは、神の前に祈ったとも見られる。徹夜して祈りに祈った。そして、彼は人格変貌したのか。名前が変わるとき、その本質の変化を表す。

 イスラエルというのは、ヤコブの新しい名である。それが後の時代に民族の名となった。
 イスラエル民族の本質は、この祈りの民であるところにあろう。

 まだまだ、他にも興味の尽きない聖句の箇所だが、エサウとヤコブの兄弟がやがてエドムとイスラエルという民族の相克の物語につながっていく。預言書には、エドムへの批難が語られる。今週は、預言書の「オバデヤ書」を同時に読むそうだ。

 ユダヤ人は、イスラエルを迫害しいじめる者はこのエサウだけにとどまらず、歴史上で次々と「エドム」が登場すると考えている。だから、聖書はサバイバルのための教科書である。
ドイツ・ベルリン新空港の建設 まだ出来ない
 イスラエルのジャーナリスト、ノア・クリーガー氏が「新たな反ユダヤ主義の主な理由は『嫉妬』である」と伝えたコメント記事を昨日、紹介した。それはあまりにもイスラエルが優秀な国家であるために、ヨーロッパ人はうらやましく思っていると。
 そのうえ、イスラエル国家の誤りをずいぶん指摘するのがヨーロッパ人だという。

 クリーガー氏は、彼の弁論として、だれでも誤りをするし、イスラエルも同様だ、しかしドイツも訳の分からない誤りをしているとして、一例を挙げた。それは、ベルリンの新国際空港の建設のこと。世界で最も進んだ設備で、最も美しい空港の名の下で、設計建設されて2011年に完成の予定であった。ところが、何度も完成は延期になって、やっと2016年に、といわれた。しかし、事実は、専門家によれば、2019年以前に完成は難しいとか。これが「天才」ドイツ人の仕事である。
 空港名は、ブランデンブルグ空港、またの名はヴィリー・ブラントという。計画が始まったのは1998年で、当初開港は2007年だったという。それが20年以上かかるとは!
 どうも東京の豊洲市場どころではないね。

 国家的プロジェクトが進められるときに、本質的にその国民性の総合力が問われるのである。


ヨーロッパに反ユダヤ主義が増大しつつあり イサクの井戸掘りに見る祝福と妬み 
 今週の聖句は創世記25・19~28・9「トルドット」という箇所である。
 聖書を開けて読むと、すぐ分かるように、イサクの系図から始まる。そしてイサクの子供の物語、つまりエサウとヤコブの双子が登場し、続いてイサクへの祝福、そして井戸を掘り続ける話。その後は、有名なヤコブがエサウから長子権を奪いさらに、父の祝福をも盗み取るヤコブの物語でクライマックスとなる。
 私が今回注目したのは、イサクの井戸の物語である。創世記25・12~33には、イサクの争わない性格が良く表現されているが、またユダヤ民族の宿命ともいうべき「反ユダヤ主義」が初登場している。
 イサクは種をまき、祝福されて百倍の収穫を得る(26章12節)。さらに、富み栄え、多くの羊、牛、またしもべをも持った。すると、ペリシテ人は彼を妬んだ(同14節)。アブラハム以来掘ってきた井戸をふさぎ、土で埋めるという意地悪をした。
 さらに、追われるイサクは無駄に争わず。なぜ?と思うが、ペリシテ人が大勢なのでか? いや、そこがイサクの生き方だろう、神に信頼して祝福を信じてか、井戸を新たに次々と掘っていく。ベエルシェバの名が出る。そこにも井戸を掘り当てた。
 この物語は、イサクをいじめる敵の動機は、「妬み」であると知らせている。

 これは今日に至るまでの真実である。イスラエル人(ユダヤ民族)が外の人間から見て「優秀な民」なので、嫉妬のために彼らを迫害したくなるという、歴史の真実をイサクの物語が象徴しているように思われる。

 イスラエルのネット紙Ynetnewsに載っていたあるコラム記事に、私は納得した。ノア・クリーガーNoah Kliegerという90歳にもなるイスラエルのジャーナリストの文である。彼はホロコースト・サバイバーで、特にヨーロッパの反ユダヤ主義に詳しく、実態を報道してくれる。
 彼は言う、「最近のヨーロッパに反ユダヤ主義、特に反イスラエルが衰えるどころか、それが国民感情のなかに増大している。自分は非常な関心をもって、ヨーロッパの多くの人に接触してその原因を知る努力をした。結論は、嫉妬である。ヨーロッパに住むユダヤ人の問題でも、パレスチナ問題でもない。イスラエルがあまりに優秀なので(あらゆる分野で卓越している、建国わずか70年にもならぬ国が世界をリードしてる)、妬ましくてならないからだと、自分は知った」
 まるで、イサクの井戸掘りを連想したのである。
 イスラエル人は、自分たちが優秀だとは言わないだろう。神の祝福のせいであると言うだろう。 

 「エルサレムのために平安を祈れ。
  エルサレムを愛する者は栄える
」(詩編122・6)